ミャンマー軍事クーデター、現状を学ぶ

今年2月1日に発生したミャンマーの軍事クーデター。

予算質疑の2月議会以降、いっこうに収束の兆しが見えない新型コロナ感染症やワクチン接種事業の問題、その後の新会派結成、議会人事、6月議会、都議選と目の前の課題を乗り越えることに必死で、ミャンマーのクーデターのその後が気になりつつ今日に至る、と言う状況でした。

7月17日、区内の市民団体主催の「ミャンマー(ビルマ)の近現代史を探る」企画に参加し、クーデターの背景や現状を学びました。
講師の上智大学総合グローバル学部教授の根本敬氏は、ビルマ近現代史の研究者で、今回の軍事クーデターを受けてミャンマー市民への医療や食糧支援に積極的に取り組んでこられた方です。

国際政治に詳しい方にとっては、ミャンマー情勢は当たり前のことかもしれませんが、学習会で印象に残ったことをブログにまとめることで理解を深めたいと思います。

「全権を国軍司令官に委譲できる」現行憲法

ミャンマーの現行憲法は、2011年までの旧軍事政権期に15年かけて作成し、2008年に公布された「大統領が非常事態を宣言すれば全権を国軍司令官に委譲できる」という、国軍が大きな権限を持つことができるものです。

1988年に学生主導の全土的民主化運動が発生、アウンサンスーチー氏のデビューとなりました。
1990年の総選挙では、アウンサンスーチーとNLD(国民民主連盟)が8割5分を取ったにもかかわらず、結果を無視され封じ込まれます。
しかし、2015年の総選挙でNLDが圧勝、アウンサンスーチー氏は2016年から国家顧問に就任しています。

2月1日未明の国軍によるクーデターの経緯
2020年11月の総選挙で再びNLDが圧勝した
2021年1月末、国軍と国軍系野党USDPは総選挙の不正調査、やり直し、連邦議会の開催延期を与党NLDに申し入れたが拒否される
2月1日未明、NLDのウィンミン大統領に辞職を迫り、拒絶されると拘束
軍出身のミンスウェ代位1位副大統領に大統領権限を委譲⇒非常事態宣言に署名

今回のクーデターは「憲法遵守のための非常事態宣言」という形をとり、現行憲法に含まれる「合法クーデター」条項を悪用し、国軍への全権委譲が実現してしまったのです。
アウンサンスーチー国家顧問、ウィンミン大統領ほかNLD政権の主要メンバーや政府幹部、文化人、学生活動家のみならず一般市民も多数拘束され、拷問されているのは周知のとおりです。

1948年のビルマ独立以来73年間、休むことなく戦い続けてきた国軍

・「外敵」は1949~50年代半ばの中華民国軍(蒋介石の軍隊)のシャン州進入時のみ
・そのほかの「敵」は、少数民族の軍事組織や、3回の軍事クーデター時における「抵抗勢力」など、すべてビルマ連邦内の居住者
こうした経緯を経て、国民を抑圧(殺害)することに感覚が麻痺してきた国軍。

国民の不服従運動(CDM)の中心はZ世代

2011年から10年間続いた民政移管期において高い水準の教育を受け、経済成長の恩恵を受けた都市在住の青年層、
SNSを使いこなし、情報の受発信に長け、自分自身で物事を考え、自分の人生設計を立てている世代
特に女性が活動的なのだそうです。

もともと政治的な世代ではなかったZ世代ですが、クーデターを機に人生設計が壊され、政治の問題が他人ごとではなく自分のことであると認識、怒りを爆発。様々なアイデアに基づいて非暴力抵抗(多角的な不服従)を展開しているとのことです。

機能しない仲裁外交

国連、主要先進国(G7)、ASEANなどに仲裁外交を期待したいところですが、各国の思惑がからみ実効性が見いだせない現状です。
中でも、国連安全保障理事会では、中国とロシアの影響でクーデターという言葉も使えず、制裁予告もできず、むしろ、ロシアは武器輸出拡大を含め国軍に前のめり。さらに、国軍と対峙する武装勢力をも武器の取引先という状況を知り、暗澹たる思いです。

標的制裁という選択肢

「国軍の幹部とその家族、国防省の収入減にターゲットを絞った」標的制裁を検討し、早期にミャンマー国民に平和な社会が訪れるよう、日本も積極的に取り組む必要があると感じました。