阪神淡路大震災から26年に考えること

阪神淡路大震災から26年。
幼児期から学齢期を関西で過ごした私は、就職して神戸に転居した友人の顔が真っ先に浮かびました。友人の安否が確認できたのは震災当日の夜になってから。当時住んでいた社宅の公衆電話ボックスで涙が止まりませんでした。

阪神淡路大震災当時、私自身は子育て真っ最中でしたが、ボランティア活動のために神戸に通った知人が複数いました。全国からボランティアが駆け付け「ボランティア元年」とも言われました。活発な市民活動のための法整備が求められ、「特定非営利活動促進法」いわゆるNPO法が制定されたのは震災の3年後です。

阪神淡路大震災で犠牲になった方の約9割が、家屋の倒壊など家の中で亡くなり、耐震基準の見直しや耐震改修促進法が制定され、家具の転倒防止が注目されました。

阪神淡路大震災で人々の意識や社会のしくみ、市民活動などの変化の一方で、「相変わらず」という印象なのは避難所です。
「体育館の雑魚寝」状態の改善がなかなか進んでいないのではないでしょうか。また、災害時の性暴力、性被害についてようやく語られ始め、災害対策としての取り組みはこれからだと感じています。

国内で初めての新型コロナウイルス感染者が報告されて1年。
私たちは今、災害時の感染症対策、感染症と避難所運営という課題に直面しています。
練馬区でも、体育館の避難スペースの面積見直しや段ボールベッドの調達、防災トイレをはじめとする安全確保、感染予防に配慮した避難拠点運営の見直しなどが進められています。
在宅避難支援や災害時要配慮者支援など、区民の理解や協力を得られるよう発信していくことを求めていきます。

阪神淡路大震災は縁のある関西での地震。私の生き方を大きく変えたのが東日本大震災です。
阪神淡路大震災⇒大地震⇒東日本大震災⇒東京電力福島第一原発事故⇒核のない未来の実現
私の中ではつながっているのです。

核兵器の開発・製造・使用・所有を禁止する「核兵器禁止条約」が1月22日に発効します。
チェルノブイリ、東京電力福島原発と2度も大きな事故を経験し、「核は命と環境を破壊する」とわかっているのに。ましてや核兵器は戦争のためのもの。存在そのものを許すわけにはいきません。
核も核兵器もない未来を子どもたちに引き継ぐのが、私たちの責任だと思います。

災害や戦災はより弱いものが、大きく強い被害を受けます。
政治は弱い者のためにこそ。

きみがき圭子区議とともに石神井公園駅前のスタンディングに参加しました

反戦、脱原発は「不要不急」じゃない。予定通り、1/9に今年初めの生活者ネット9条スタンディングを実施。