子どもたちと一緒に考える被災地の復興支援

 東日本大震災から2年10か月が過ぎました。子どもの視点および子どもの権利に基づいて、東日本大震災および原発事故の被災者支援・被災地復興を支援するために設立された「東日本大震災子ども支援ネットワーク(以下、子ども支援NW)」の3回目のシンポジウムに、12日参加しました。

 

 

 

 

 

被災地での住宅や就労などのくらしの基盤、まちづくりが軌道に乗らず、復興の見通しの立たない地域の中で、子どもたちは何を感じ、自分の将来をどのように考えているのでしょうか。今回参加した子どもたちは、岩手県山田町、宮城県登米市・南三陸町、福島県いわき市の中高生約20名。当時中学2年だった子どもたちは、4月からは高校3年生になり、進学・就職と進路の選択が目の前に迫る年齢になりました。小学生だった子どもたちは中学校に進学しそれぞれ多感な思春期を厳しい現実の中で送っています。

 子ども支援NWの事務局長でもある、森田明美東洋大学教授の「東日本大震災における子ども支援の取り組みのこれまでとこれから」と題する基調報告の後、3グループに分かれて被災地の子どもたちの報告とおとなとの意見交換が行われました。私は宮城県登米市・南三陸町から来た子どもたちのグループに入りました。登米市は地震によって古い家屋が崩壊したり、数日ライフラインが断たれるなどの被害がありました。海岸沿いの南三陸町は津波によってかけがえのない多くの命が失われ、未曾有の被害を受け、多くの住民は内陸の登米市に避難しました。今回は、元々登米市で暮らしていた男子高校生3名と、南三陸町で被災後登米市の仮設住宅で暮らす男子高生2名、女子高生2名が、それぞれの立場で意見表明をしました。

 登米市の高校生からは

・「被害の違いに罪悪感を感じる」

・「明るく振舞っている同級生が大きな被害を受けていることを知ってショックを受けた」

・「被害が少ない側としてできることをしたいと思うが何をすればよいかわからない」などの意見が出ました。

 南三陸町出身の高校生は

・「以前より良いもの(まち)をつくる(復興)より、元に戻して(復旧)ほしい。今できることをやってほしい」

・「復興の対策案が若者に見えてこない=興味がなくなってしまう」

・「震災当時、当たり前の生活が幸せと感じられたのに、今その気持ちが薄れている」

・「ふるさとに戻りたいと思っていたが、自分の将来を考えるスピードとまちの復興があまりにもかけ離れていて、今は戻る気はない」

・「仮設住宅でなんとか生活が落ち着いてきたが、今後公営住宅に移るか定住する場所を決めるかで取り巻く環境が不安定になったきた」などの意見が出ました。

 これらの意見を受け、おとなも交えて意見交換をしたのですが、

・罪悪感を感じないでほしい

・気を遣ってくれるのはありがたいが、知ってほしい、聞いてほしい 

・自分から言うことで、相手も話してくれるということがわかった

と、子どもたちはおとなが想像する以上にお互いの気持ちを思いやり、気を遣いながら学校生活を送っているんだなと感じました。そして、被災したからこそ、その経験を話すことで復興や防災の役に立ちたいと考えているのです。また、その後の全体会では、進路の決まった高校3年生と将来を決めようとしている高校2年生のほとんどが、消防士や看護士・保育士など地元に戻って、仕事を通して復興に携わる決意をしていることがわかりました。

 今、被災地では被害の違いや就労・住宅など様々なことが原因でおとなたちが分断されている状況です。一方で、子どもたちは同世代とつながり、まちの復興のために何ができるのか、真剣に考えています。私たちおとなは、その思いをしっかり受け止め、ひとりひとりの自立に向けた支援をしていかなければならないと思いました。