原発はいらない!福島第一原発事故から2年3カ月が経って
福島の原発事故から2年3か月が経とうとしています。いまだに15万人以上の方が避難生活を余儀なくされている状況です。また原発の事故による放射能汚染は私たちの暮らしに大きな影響を与えました。
私は子どもの頃大阪に住み、それも、1970年の大阪万博の会場のすぐそばでした。その頃、夏休みの一大イベントが親戚一同で福井県の日本海に海水浴に行くこと。クーラーのない車で渋滞に巻き込まれながら、それでも子ども心に毎年楽しみにしていました。
ある年父が言いました。「来年はもうここには来られないよ」と。
恐らく父はその理由を丁寧に説明してくれたと思いますが、全く覚えていません。その理由が敦賀原発建設であったことを私はかなり大きくなってから知りました。さらに敦賀原発が大阪万博に電力を供給するために建設されたと知ったのは福島原発の事故後です。あんなに何度も楽しんだ万博。あの万博に原発が大きくかかわっていたことにショックを受けました。楽しみを奪った原因がその後の楽しみにつながっていたこと、因果関係などを知った時の心のザワツキ感。そして“脱原発”を自認していたにもかかわらず、結局54基もの原発を容認してきてしまったことへの無力感。原発をなくすためにもっと積極的に関わらなければならないと強く思いました。
大きな犠牲を与えた福島の原発で発電された電力は、私たちの住む東京に供給されていたものです。事故の後、このままではいけない、多くの方が自分には何ができるのだろうと考えたのではないでしょうか。生活者ネットの実施したアンケートでも「緑のカーテンなどの暑さを凌ぐ工夫をする」「エアコンを使わないようになった」など省エネを心がけるという回答をいただきました。毎週金曜日の脱原発・反原発の抗議行動に参加する市民の動きは、今も続いています。しかし、政権交代した安倍政権によって「原発推進」に大きく舵が切られようとしています。
原発安全神話が崩壊した今こそ、原発を中心に据えたエネルギー政策から、再生可能エネルギーを推進し持続可能な社会への転換の時です。原発からの脱却に向け、電力の自由化など国のエネルギー政策・しくみの転換を求めるとともに、地域で取り組む再生可能エネルギーを支援・推進していかなければなりません。